緑園都市 XYSTUS(ジスタス)
「全体の計画をまずつくって、その計画にしたがって個々の建築を制約していくという方法ではなくて、建築が次々に連続していくときの、その連続のための因子を、自分の中に持っているような建築が考えられればいいわけである。方法としてはきわめて単純な方法なのだ。全体計画など決めないで、それぞれのオーナーの都合で勝手に建築をつくることにすればいい。ただし、その建築は接続の因子を自分の中に持っているような建築である。〈通り抜けの道〉が、いわばその“因子”である。」(「細胞都市」 INAX ALBUMl2)などというようなことを言った。ところが、これがなかなか難しい。
自分の建築の中に〈通り抜けの道〉をつくって、その〈通り抜けの道〉が相互に連続するという方法が単純に動線を連続させるというだけの話なら、つまりシステムだけの話ならそれほど難しい話ではない。難しいのは、ひとつひとつの建築がはっきりしたキャラクターをもち、さらにそれらがひとつの連続した街並みをつくるという、その個々の建築のつくり方である。それぞれの都合で勝手につくるとはいっても、相互の関孫を無視するというわけではない。向こうから延びてきている〈通り抜けの道〉に接続されるということは、その建築のプログラムも形も相互に何らかの関係をもつはずなのである。
1、2階が商業施設で、3階あるいは4階から上が賃貸の住宅だという基本的なプログラムは決まっている。その商業施設のフロアに自由通路である〈通り抜けの道〉が嵌入しているわけである。その自由通路に面して商業施設やサービス施設が配置され、その上階にガラスの大屋根に覆われた居住者用の小広場がある。その小広場をめぐって住宅が配置される。その程度の構成も決まっている。
また、基本的な素材も決まっている。コンクリートの仮枠ブロックの躯体に亜鉛溶解メッキされたスチールが必要に応じてピンナップされるのである。必要に応じてというのは、小庇やベランダあるいはブリッジのような装置類がその機能に応じて躯体にピンナップされるという意味である。つまりその程度のプログラムと形に対する一定の了解はあらかじめ確保されているわけである。ところが個々の建築はその“一定の了解”の範囲の中には収まらない。そのつど新たなプログラムと形に対する固有の解釈が必要なのである。
難しいというのは、このプログラムと形や素材に対する“一定の了解”と、それぞれの建築がもつ固有のプログラムと形に対する解釈をどう調停するかといったあたりの問題である。
結論を先に言ってしまえば、ふたつ以上の建築が隣り合って相互に接続されたとたんに、ひとつひとつの建築の固有性はほとんど失われてしまうというのが私たちの実感である。固有性はひとつひとつの建築にではなく、接続されている建築相互の関係にある。そう見えるのである。つまり、建築の固有性は、建築という単一の存在の中にあるのではなくて、建築相互の関係の中にある。ということは、固有性は隣り合う建築との関係をどう解釈するかということでほとんど決定的なのである。その隣り合う建築との関係のことをどう呼べばいいのかよくわからないのだけれども、恐らくそれが“都市”と呼んでいるもののメカニズムなのだと思う。
(新建築1993.06)
備考
総合企画・監理運営:相模鉄道 住宅営業部 ビル営業部
家具:エンドウ総合装備(小屋三津夫)
建築:相模建設
設備:山本電気水道
電気:栗原工業